2011年5月29日日曜日

震災ボランティア

初めまして。
まな美の夫、拓実です。

報告にしてはかなり遅くなってしましましたが、
家族に支えられて、4月の1ヶ月間、宮城県の石巻市にボランティアに
行って来た報告を、まな美のブログでさせていただきます。

僕は以前、看護師として国際医療協力を目指していました。
国際医療協力は僕がやらなくても、他のもっと優秀な人がやるんだと思い、
今はまな美と農業をやることを決意しましたが、今回の地震は被害が
ものすごく広範囲で、僕もできることをやらなければならないと思いました。

今回は仙台に事務所のある全国コミュニティライフサポートセンターという
NPO法人が、東北関東大震災共同支援ネットワークというものを立ち上げ、
そこに看護ボランティアとして登録しました。そして石巻市の旧河北町にある
ビッグバンという施設に派遣されました。 ビッグバンは海岸から約10km離れて
いますが、津波が北上川を上がって、かなり近くまで被害があったそうです。


ビッグバン
ビッグバン正面全景

ビッグバンには500人以上の避難住民の方がいらして、ほとんどの部屋という部屋、
廊下という廊下に生活されていました。体育館で生活されている避難住民の方のみ、
卓球競技用のしきりを使ってプライベートを確保されていました。
共同支援ネットワークのボランティアも体育館で寝泊りさせていただきましたが、
しきりがなく、そこにいた時はそれに慣れたと思っていたのですが、
家に帰って来てからどっと疲れが出て、やはりストレスが溜まっていたんだと思います。
1ヶ月だけいた僕ですらこのような状態なので、震災直後から生活されている
避難住民の方のストレスは相当なものだと思います。

ボランティア団体は他に、外来診療を行う石巻日赤、要介護者の排泄介助と保清を行う
宮城県の介護福祉士会、子供を遊ばせるセーブザチルドレン、マッサージを行う整体師
などが入っていました。共同支援ネットワークのボランティアは主に、朝食の配布、
簡易テント風呂の掃除とボイラーの操作、夕方の炊き出し、夜間具合の悪くなった
方の対応、要介護者の対応(食事介助、排泄介助、保清、環境整備、部屋に宿直、
体温・血圧測定)を行いました。そして僕達の団体のボランティアは大体1週間前後で
帰るところ、僕は1ヶ月間いたので、共同支援ネットワークのボランティアのリーダーを
させていただきました。

しかし業務の多さからか、ボランティアの1人が高熱を出して倒れたことがありました。
そこで必要な業務はボランティアから避難住民の方にゆくゆくは引き渡すことになる
のを視野に入れて、まずは地元のボランティア団体である宮城県の介護福祉士会に
業務の一部を引き渡すことを考えました。そして福祉士会のリーダーさんと調整して、
要介護者の対応の大部分を手渡すことになりました。

派遣期間の最後にはポスターを掲示し、避難住民の方から食事の手伝いを募る提案を
ビッグバンにさせていただきました。今ではそれぞれの部屋・廊下から代表者を出し、
代表者、ビッグバンの職員、ボランティアで代表者会議を開いて、避難住民の方の自立に
向けて動き出しているそうです。

子供
避難所の子供と

僕が派遣された期間は、いろいろやることのある急性期ではなかったのですが、
ボランティアから避難住民の方への業務の移行時期という貴重な体験をさせていただき
ました。今後避難住民の方は仮設住宅への入居、就職、就学という段階になっていく
と思いますが、それに関係した支援を何か続けてやっていければと思います。